所沢の名前の由来について調べてみました。
所沢に多く植生している野老(ところ)というヤマイモ科のつる草が市の名前の由来とされていますが、ハートの形をした葉が特徴です。
根っ子が老人の髭の様に見えることから「野老」と記されたとする説があります。
根は苦味がありますが食べられます。茎と共に煎じると消炎効果や利尿などの薬効があります。
確かにどこにでもありそうな草葉ですね。
実はこのヤマノイモ科の多年生つる草は、所沢市の市章になっており、カタカナの「ワ」を円形に3つ連ねて外枠とし、その中心に野老の葉を図形化したものが描かれています。
市のホームページをご参照ください。
所沢市章 「所沢市ホームページ」
http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/iitokoro/shokai/eda/shisyou.html
所沢にゆかりのある歴史的有名人の一人に在原業平がいます。
この地域を通りがかった在原業平が「あたり一面野老だらけの沢であるなぁ」と言ったのが所沢の由来だとも言われています。
在原業平(ありわらのなりひら)というのは9世紀の貴族で、プレイボーイだったというのが定説です。しかも、あの光源氏のモデルになったという説もあるのです。
両親ともに天皇家の血筋であるにも関わらず、薬子の変で皇族から朝臣に降格となったという身の上も、どこか光源氏を彷彿とさせるものがあります。
六歌仙のひとりで、百人一首でもその歌は有名な歌人でもあり、アーティストでもありました。百人一首のこの句は一度は耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは
奈良の不退寺には業平が自ら制作にあたったと言われる観音像がありますが、一風変わった華やかな菩薩で頭の大きさが身体に対してやや大きいなど、アンバランスなところに人間らしさが感じられます。奈良に詳しい観光客の間では有名な像で、見る人の笑いを誘っています。
奈良市観光協会公式ホームページ
http://narashikanko.or.jp/
不退寺ホームページ
http://www3.kcn.ne.jp/~futaiji/index.html
廻国雑記に登場する所沢
廻国雑記(かいこくざっき)というのは、室町時代の僧侶・道興(どうこう)が、文明18年(1486年)に記したもので、東国を巡り歩いた紀行文です。その中に所沢が登場するのですが、所沢の観音寺に立ち寄った際に詠んだ俳諧(5-7-5-7-7形式の日本文学)があります。
野遊びのさかなに山の芋そへてほり求めたる野老沢かな
観音寺でお酒と山芋でもてなされたことに感激して詠んだものですが、観音寺は現在の新光寺だと言われています。
所沢市内に数ある神社仏閣の中で、古い記録に登場するお寺の一つで、所沢市観光協会の「ところざわ百選」にも選ばれています。
ところざわ百選~所沢市観光協会公式ホームページ
http://www.tokoro-kankou.jp/blog/020.html
次回はこの新光寺についてご紹介したいと思いますので、お楽しみに。
【参考】
所沢市公式ホームページ > 所沢の地名の由来
http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/iitokoro/shokai/symbol/syoukai_timei.html
所沢市立所沢図書館 >所沢の足跡 ~地誌編~
http://lib.city.tokorozawa.saitama.jp/history/history_shishyo.html
【本文参考文献】
■野老の薬効
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%AD
https://kotobank.jp/word/%E9%87%8E%E8%80%81-583227
■在原業平?光源氏のモデル説
http://www.joqr.co.jp/blog/dankai_sat/sp/post_64882.php
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%BA%90%E6%B0%8F
■廻国雑記
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/885774
■道興准后の生涯と進行 著/萩原龍夫
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/8646/1/sundaishigaku_49_1.pdf
P18に所沢に関する記述あり
萩原龍夫氏は東京出身の民族学者であり、日本新研究者でもある人物で、代表著書は「中世東国武士団と宗教文化」 岩田書院 2007.1 (中世史研究叢書)