こんにちは~、ウララです~。
さて、今回も所沢からぶらり足をのばしまして
富士山夏登山レポート2013の
続きでございます。
北口本宮冨士浅間神社の境内の右横にありました
吉田口登山道の案内看板の矢印に従って進みます。
ちょうど、境内の後ろに抜けるカンジですね。
5年前に初めて訪れた時は登山道がなかなか見つからず
行ったりきたりとかなり迷いまして
体力を消耗してしまったつらい思い出がございます…(汗)
アスファルトの車道を数百メートル進みますと
左側に小さな丘が見えてきました。
大塚丘(おつかやま)です。
案内看板には「おおつかおか」と
ルビがふられていましたが
『おつかやま』と呼ぶそうです。
北口本宮冨士浅間神社の社記によりますと
西暦110年、景行天皇の皇子
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のおり
相模国の国(現在の神奈川県)足柄坂本を越え
甲斐の国(現在の山梨県)酒折宮へ向かう途中
この「大塚丘」に立ち寄り、霊峰富士を逢拝し
戦勝祈願をした場所とされています。
また、
「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」
という言葉を残したと伝えられているそうです。
現在は高い樹木に囲まれていますが
1,900年以上前の当時は見晴らしが良く
美しい富士山を仰ぎ見ることができたのでしょうね~。
その後、781年(天応元年)富士山の噴火があり
翌年の788年(延暦7年)甲斐国主
甲斐 紀豊庭(きのとよひろ)が丘の北東に社殿を創立、
これが今の北口本宮冨士浅間神社のはじめであり
大塚丘には日本武尊が祀られました。
大塚丘に祀られた鳥居と祠
高さ5mほど上がった丘の上にあります。
この写真の祠の右側にチラリとヒノキが写っていますね。
かつては、丘の上の四隅に
4本のヒノキが植樹されていたそうですが
1本は枯死してしまい
残り3本となってしまったそうです。
このヒノキたちはなんと、
樹齢400~500年前後と推定されている
歴史あるヒノキだそうで
富士吉田市の天然記念物に指定されているそうです。
この時、どなたが祀られていたのかよくわからずに
この大塚丘に立ち寄ったのですが
「山に入らせてください」
という気持ちになり
自然と脱帽、頭を下げておりました。
歴史あるこの地が
自然とそうさせていたのかもしれませんね。
大塚丘のお参りを済ませて
さらに先へ進みます。
吉田口遊歩道入口まであと100mです。
はい、今回もあまり進みませんでしたが
本日はここまでです。
不定期ですがまだ続きます。
冬、ウララ~♪